20条裁判最高裁判決に思う
非正規社員が正規社員との待遇格差の是正を求めた「20条裁判」の最高裁判決が、10月13日・15日に相次いで出された。筆者は労働契約法20条で想定されている有期契約労働者であるという意味でも、この判決に関心を抱いて、購読する『朝日』の記事やNHKなどのマスコミ報道や、当ユニオンの公式ツイッターでのいろいろな労働者・労働組合などの方々のコメントに接したのだが、当ユニオンの一員として、この場を借りて思うところを述べたい。
この労働契約法20条は、今年4月からパートタイム・有期雇用労働法に移行しているのだが、職務の内容・職務の内容及び配置の変更の範囲(人事異動など)・その他の事情を総合的に考慮して不合理な労働条件を禁止し無効としていた。だが最高裁は、13日の大阪医科薬科大訴訟ではボーナス、メトロコマース訴訟では退職金について、認めなかった。ただ、あくまで「事例判断」と断り、またメトロコマース訴訟に関しては一部裁判官の補足意見や反対意見も付記されているように、ボーナス・退職金支給を一律に否定したわけではない、という面はないわけではない。だが、最高裁判決の判例としての重みからしても、訴訟の当事者のみならず、非正規労働者、ひいては全労働者にとって、屈辱的な事態である。反面、日本郵便訴訟は、手当や特別休暇について認め、勝訴したことで、一歩巻き返した、とは言えるだろう。
とはいえ、非正規労働者はそもそも、低額の基本給で生活は困難になっている。さらに、有期契約労働者であれば雇止めの不安を抱えている。せめてボーナスでつなぎ、できれば雇用継続の末に退職金がもらえれば、と思うのだが、13日の最高裁判決は、退職金やボーナスの支給目的は「正社員(正職員)としての職務を遂行しうる人材の確保や定着を図る」だとしているそうだ(『朝日』記事より重引)。この『朝日』記事では「経営側の主張に沿う内容」と評しているが、このように経営側の事情から見た「職務能力」を基準にして非正規労働者は切り捨てられていくのだ。筆者が特に腹立たしかったのは、大阪医科薬科大学の判決文で、正職員とアルバイトの職務に共通する部分はあるが「アルバイトである原告の業務は相当に軽易であるのに対し」としている点だ、ピラミッドの中でフルタイムで働き、適応障害になるほどの負担だったという原告の苦難を最高裁裁判官の高みから見下すのはやめてもらいたいものだ。まあ、司法のトップクラスに登りつめ、今さら「国益」(?)に盾つくことはしないのかもしれないが。
しかし。日本郵便訴訟の勝訴は、日本郵便という大企業で、「継続的な勤務」をしている契約社員の、手当や特別休暇、背景にある労働組合の闘い、という限定はあるが、判決時掲げられたたれ幕のように「格差是正一歩前進」とは言えるだろう。コミュニティユニオンの全国交流集会でも接したメトロコマース原告はたれ幕で「不服判決」と掲げていた。経営側や、それと結びついた政権は、「同一労働同一賃金」「格差是正」の名の下に正社員も含めての労働者の待遇悪化につながる方向に進もうとするだろうが、労働組合は、不服従で、がんばっていかないといけないだろう。当ユニオンも、非正規・外国人労働者が、浅賀井製作所では賃金差別裁判(26日が期日)に加え、退職金問題も取り組みの課題に加えて、闘いつつあり、碧海工機の雇止め問題などの闘いも含めて、取り組みを進めている。不屈に、がんばっていきましょう。
<追記(31日)> その後もいろいろ学んでみて、上記で私が腹を立てた「業務は相当に軽易」については、今回の争点は腹を立てる点が少々ピントがずれているようだと思うようになった。というのは、争点は正社員と同様な職務を遂行している非正規社員の待遇格差の問題だからだし、当ユニオンの非正規・外国人労働者の裁判も、「正社員と同じ仕事をしているのに、なぜ非正規なのか、不安定雇用なのか」「外国人だから?」という点に怒りがあるように思える。そういうことからすると、当方は、自身の仕事が、世間一般からすると「職務は相当に軽易」と見なされるだろうという違和感から出発しているように思え、やや個人的な事情から考えていたと思わされた。この問題は今後も考えていきたいと思います。
<追記2(11月8日)>昨日の豊橋学習会での学習会で、水町勇一郎東大教授のコメントや『朝日』の論説なども題材としたのだが、そこでは13日の判決が賃金の実情でなく経営側の主観を論拠にしている点を問題にしていた。確かに待遇格差、というのは客観的な事実を基にしないと、経営側寄りの、あるいは常識的な、主観的な価値意識を根拠にするのは、裁判としても問題だろうと素人としても考えてしまう。同一労働同一賃金にしても、待遇の現実抜きに、合理性の如何は問えないだろうと考えるのだが・・。難しい・・・。