公開学習会を開催
4月23日(土)午後1時より、名古屋・東別院会館にて、「ウクライナに平和を!! ウクライナの原発は今どうなっている?~チェルノブイリ救援・中部の河田昌東氏に聞く集い~」と題した公開学習会を開催しました。組合員・その家族・賛助会員が20人規模、その他の一般の方が10人規模、総勢30名規模の参加で、充実した学習会となりました。
最初に当ユニオンの司会を務めた組合員が、今も続いているロシアのウクライナ侵攻において、原発の危険性も示されたことから、原発問題、そしてこの問題を通してウクライナ侵攻を問うことを企画したと、開催の趣旨を述べました。
そして講師にお招きしたNPO法人チェルノブイリ救援・中部の河田昌東さんが、「ウクライナの原発の今」と題したパワーポイントを使いながら話されました。
河田さんはまず、チェルノブイリ原発について、1986年の事故当時から、放射能による被害について、まだ4号炉内に閉じ込められている若い作業員さえいることも含め、今も進行中としました。そして、チェルノブイリ救援・中部は、90年4月に発足し、8月に日本のNPOで初めてウクライナでの活動を開始して以来、最も放射能汚染が深刻なジトーミル州ナロジチ地区で救援活動を続けてきたと紹介しました。
続いて、ロシアのウクライナ侵攻について触れました。2月24日の侵攻開始直後の27日、抗議声明を出したが、ロシア軍は侵攻を開始してすぐにチェルノブイリ原発を占拠し、しかも3月9日に外部電源を遮断して爆発の危機をもたらした。2日後にベラルーシから電線を引いて復旧したが、恐ろしいことだった。しかもロシア軍兵士が高濃度の汚染地域で粉塵による大量被曝をしたと思われ、ロシア兵も犠牲になっているとしました。
そして、さらに恐ろしかったこととして、3月4日にはウクライナ南部の、ヨーロッパ最大規模の原発であるザポロジェ原発をロシア軍が砲撃したことについて触れました。もし運転管理棟にでも命中し、原発が爆発していたら、チェルノブイリ原発事故の10倍・広島型原爆の5000倍の放射性セシウムが飛び出し、地球規模の汚染が起こっていた可能性があったとしました。そして、このように通常兵器で核攻撃ができることが立証されたという意味で、原発は事故だけでない危険性をもつことが示された、としました。
そして最後に、ウクライナへの緊急支援について触れました。侵攻によって、チェルノブイリ救援中部が長年交流し、南相馬市の学校にクリスマスカードを送ってもらったりしてきたジトーミル市第25番学校も、現地での活動を支えてきた事務所も、病院も助産院も破壊され、消防士が医療など救援活動を必死で行っている現状だが、何とかドイツの支援団体が、日本で集めた募金を支援物資、とりわけ当面は医薬品の調達に充て、現地との仲介役になるというかたちでのルートができ、第一便が4月4日に届いた。長年のチェルノブイリ支援活動が戦争被害者の支援になるとは思わなかった、として、一時間弱の話を終えました。
休憩後、質疑応答・意見交流に移りました。次々と質問が出され、河田さんが、ほとんどなかった1970年頃から反原発運動を始めてきて、当初は安全で放射性廃棄物も何とかなると言われていたこともウソが明らかになったばかりか、原発と原爆は双子の兄弟だ、との話や、チェルノブイリ原発事故の原因についての話や、ロシアのウクライナ侵攻に対しての態度として、いろいろな態度や、情報が入り乱れたりとかしているが、ウクライナの国内問題はあれ、国外から戦争をしかけるというのは許されない、ウクライナ人もロシア人も、また日本人も、国民同士が、権力者によって戦争に動員されたり加担させられたりするのはおかしいが、問題点は種々ある、しかし労働組合がこういう問題に取り組むのは重要なことだとの話や、放射線被曝やチェルノブイリ救援中部が進めてきた「菜の花プロジェクト」についての話など、さまざまな話題が出され、一時間ほどの間、活発な意見交流ができました。
最後に司会を務めた組合員が、学習会を開いた意義を再確認する発言をして終了しました。ポルトガル語の通訳も交える予定でしたが、日本語が一定程度理解できるブラジル人組合員の参加が主だったこともあり、通訳は交えなかったため、予定より早くなりましたが、会場ではそこかしこで話の輪ができ、会場を出た後も、一定の参加者は休憩も兼ねて、話を続け、交流も深めました。
今回の公開学習会は、急きょの開催で、事務所の外で一般の方も参加していただく公開学習会もコロナ禍もあって久しぶりでしたが、福島原発事故の時以来再び河田さんをお招きでき、また意義ある学習会ともなり、成功しました。今後も労働組合としての立場で、このウクライナ問題も含め、社会的な問題に対しても、一定の取り組みを進めていきたいと思います。河田さん、参加していただいた皆さん、ありがとうございました。