NHKの番組でユニオンみえの闘いを紹介

 6月28日(日)午前6時19分から45分まで、NHK総合「目撃!にっぽん」という番組が放映されました。「泣き寝入りはしない~密着“コロナ切り”との闘い~」と題し、3か月にわたりユニオンみえの闘いに密着取材した内容です。昨日のユニオンみえ市民講座で、番組ディレクターのコメントを含めた紹介が配布され、観ましたが、良い番組だったので、NHKプラスなど活用してご覧いただければと思います。

 

 

 

 

 

 番組の内容を紹介します。まず、ユニオンみえに6月末までに700件を超える相談が殺到し、その対応に追われている姿が描かれます。そして、厚労省発表で2万6000人を超える解雇・雇止めという数字の背後に、一人一人の人生があることの象徴として、4月、相談に駆け込んできた、無期雇用の派遣社員である日系ブラジル人女性のNさんと、神部書記長とに焦点を当てます。

 

 

 

 Nさんは夫と3人の子供と暮らしで、妊娠中。しかし、派遣会社は、解雇、そして同時にアパート退去も迫る。神部書記長は「命の危機」と感じ、ユニオンを名乗り、交渉している間は追い出すことはしないとの合意をします。Nさんの夫も仕事が激減し、一家の月収は2万。帰国する金もないという状況。

 

 

 

 次に番組は相談の共通点を挙げます。数ヵ月の短期雇用を長期に継続していたため、雇止めは、労働者には唐突であり、他方派遣会社は、派遣先から仕事がないと言われ、板挟みだ、と弁解するというところです。

 

 

 

 Nさんに戻ります。相談から一週間、会社は対面での交渉にはコロナを理由に応じず、解雇通知予告書にサインしているとFAXしてきます。だがNさんは、派遣先はクビだとしても他に派遣先を探す、という説明を受けてサインしたと主張します。こういう会社の説明と実際との食い違いは、神部書記長自身が過去に働いていた時に見習いからやがて正社員にするという口約束と実際は見習いのままにされ、裁判で争って会社の非を認めさせた経験と重なります。そして神部書記長は、安易な泣き寝入りは固定化する、クサビを打たないといけない、という信念を語ります。

 

 

 

 そしてNさんの苦境は深まり、4月下旬、住居の電気代・ガス代が払えないので間もなく止められるという危機を迎えます。ここでNさんと神部書記長は派遣会社に直談判に訪れます。神部書記長は「生きていけないではないか」と迫り、Nさんは窮状を訴えます。会社は派遣先がどうしても見つからないと言い、ただ当面の生活費として8万を渡します。

 

 

 

 こういう状況が広がっているとして、ユニオンはメーデーと派遣村を開催すると決めます。だが津市が自粛要請をします。神部書記長は「本来派遣村のようなことは市がやることではないか」と言い、ユニオンとしては、感染症対策をしながらの開催に踏み切ります。実際、所持金が底をついた、との相談者が来ます。社会福祉協議会へ同行し、緊急小口資金の申請をしますが、生活保護も含め、連休でもあり申請が激増し、追いつかない、時間がかかる、とされます。実際、ユニオン事務所には、派遣社員の正社員が、自身がリクルートした人がどんどん切られるので、自身も仕事がなくなってしまった、という相談に来ます。

 

 

 

 Nさんにまた戻ります。休校中の学校に宿題を取りに行き、無邪気に学校の再開を楽しみにしている娘の姿。そしてようやく5月中旬、派遣会社との交渉が開かれます。会社は非を認め、早期解決の姿勢は見せたというが、群馬なら仕事はあるという解決策にはNさんは同意できません。しかし、今の住居に住み続けることは難しいとも思います。出産が迫る中、住居は会社が借りるのでなくNさんが借りるというかたちに契約し直すとなり、生活費が保証されることにもなった、と神部書記長が吉報を告げます。Nさんは本当に助けてもらったと感謝し、神部書記長はNさん本人が力があったやろうとなったからだ、とねぎらいます。そして娘を連れて久しぶりに欲しいものを買うことができたNさんの姿。そして最後に、ユニオンみえには今日も相談が止まらない、として、番組は終わります。

 

 

 

 番組の概要は以上ですが、昨日の市民講座の参加者が何人も出演していたし、ユニオン学習会で、雇止めされ、住居を失う、というケースについて学んだことが、実際どういうことで、どう生かすべきなのかを、教えられた気がしました。昨晩放映された午後11時からのETV特集「すべての子どもに学ぶ場を~ある中学校と外国人生徒の歳月~」で、岐阜県可児市の中学校で、日系ブラジル人や日系フィリピン人の子供が不就学にならないようにと支え続ける中学校の姿をとりあげていましたが、そういう学校に変わる大きなきっかけになったのが、日本語の壁・いじめもあって学校に通えなくなり、不就学、そして“不良”となった元中学生が、「日本語を学びたい」と訪問してきたことだったこと、そして、彼は地域に住み続けたいと願い続けていたこと、が描かれていたのが印象的でした。こういう長期の地道な、日本人の側の外国人受け入れの努力と、外国人自身の学び続ける努力を、入管法改正から30年ほどの現在、無に帰すようなことになろうとしていることも含め、外国人を受け入れていくことについて、安易な使い捨てを繰り返すことの重大さを、改めて考えさせられました。

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